

阿波踊りが開催されているこの街で、日中8時間草刈りを続けている男性がいた。機械を使わず、手作業で草を借り続けている。区の業者の一個だろうか、はたまた性格の悪いわたしには「この仕事しか出来ないのだろうか」、最近見ることが多くなった障がい者雇用の一種だろうか、という目線を向ける。物理的にも立って歩いているわたしの方が視界が上だから、膝をついて猛暑の中、8時間草刈りを続ける男性のその姿を「見下げて」、勝手にこの男性の人生の一部を勝手に想像して憂いてしまった。阿波踊りが終わるころ、道沿いの雑草は綺麗になっていた。なぜ、1人で草刈りをしていたんだろう、なぜ、機械を使わないのだろう。
AM8:30、渋谷駅を出ると大きな広告が目に入る。ウーバーイーツ、アイドル、デカデカと掲げられるメッセージ、2週に一回、広告が変わる。このデカい広告は広告代理店のコピーライターが何時間もMTGを重ねて生み出した誰かの仕事である。心底うるさいなと思うけれど、安易に馬鹿にはできない。足早に広告の壁を通り過ぎて、一心不乱に歩く。道沿いの草刈りをしている男性を立ち止まり、見つめて、まちを憂いている余裕はここにはない。最近身につけた、死んだ顔で人の波を横断すると勝手に人がどいていく、というライフハックを用いて会社へと向かう。今日も外国人観光客の持つキャリーバッグに道を塞がれる。マリオカートに乗った安易な観光客が道路を塞ぐ。退職を促す広告を載せたトラックが前を通り過ぎたと思えば、転職を促す広告を載せたトラックも目の前を通り過ぎる。これが、循環なのだろうか。わたしたち人間は、変化を元にだれかの資本を生み出すようになったのはいつからだろうか。出社してパソコンを開いて、先輩のスケジュールを見て、空いている時間に勝手にMTGを抑えてDMを送る。「業務のことで相談があり、時間を抑えました」、勝手に人の時間をボタンひとつで抑える。エレベーターの広告には「商談はAIに任せる」。Xを開くと、「昔はもっと仕事をサボれた、今は隙間時間に互いに人の時間を抑える」、新聞記事には996時間で働く中国の今を伝える記事が掲載されている。無心で読む。
三連休、目を覚まして「GOAT meets」を読む。人のことを勝手に憂いて、寂しくなっているような感受性を持つわたしのような気持ちについてを、韓国人の作家が作品を生み出すプロセス、のように書いてあった。お昼、時間になって、化粧をして、中目黒へ向かう。有名な編集者の写真の個展を見にいくためだ。個展会場に入ると、どうやら雑誌関係者の人間が複数おり、久しぶりにカルチャーの匂いを感じる。その類の話しか出来ない人が集まる空間にいると、逆に感覚も鈍くなりそうだな、とまた性格の悪いことを思う。目黒川を眺める。いちばん好きなバンドのライブに行く、好きになったころよりも良い変化をし続ける演奏に心底胸を打たれ、しばらく歩いて帰ることにした。至る所に、提灯がぶら下がっており、嬉しくなる。
正直、ここ最近は感受性が死んでいた。人はこうしていとも簡単に今まで好きだったものを手放せるのだなと思った。気がついたらやることがなくて、喫煙を始めた。ぶら下がっている提灯を見て、嬉しくなったり、音楽を聴いて嬉しかったり、そういう気持ちの変化が戻ってきたことに嬉しくて、1人で酒を飲んだ。そのきっかけが、やっぱりTAMTAMだったことが嬉しかった。引くほど落ち込み、笑えなくなっていた時、ライブを見に行って社会活動が再開したことを思い出す。あの時と見てる景色が随分変わった。そんなことを懐かしく思いながらそのバンドのライブを見る。この音楽を知った、教えてくれたときのことを思い出す。
「信じる」とはなんだろうか。誰しもが、いとも簡単に人のことを信じるようになり、人の循環でお金を稼ぐ人がいる。そんな不安定なものを信じて、いつかなくなる気持ちを信じて、苦しくないのだろうか。今まで、人のことを過信しがちだったわたしはあるとき尊敬の目を向けられることがあった。苦しかった。人のことを勝手に神様みたいに扱うなと思ったからだ。人のことをお金を払って会いに行くだけで、誰かの「神様」になり、お守りになる。むず痒い。朝井リョウの新作を早く読みたい。よくわからない、今回はここまで