hi

うん

 

1.ひと(他人)との関わり合いについて

 ここ最近は見えない何かに縛り付けられている感覚だ。それは何か。紛れもなくひと(他人)との関わり合いについてである。先日、本屋に行くと「他人は分かり合えない」というテーマを扱った本が置いてあり、如実、他人とは分かり合えないのであって、それ故に分かり合えないからこそどう言葉や感情を操るか、という、いわば人との関わり合いこそに美しさを覚えるという表現で文を締める本が並んでいた。対して、わたしの住む街では毎日のように誰かしらが酒を飲み交わしていて、毎日歩いていると、どうしてそんなに人と会う予定があるんだ?と不思議になる。(ひとりで入りやすいお店に入ると、周りを見渡す限り男性しかいないし、女っていつどこで飯を食っているんだ?)

 ここ最近、自分から人を誘うことが滅法減ってしまった、人と会う予定に縛られるのが心底苦痛なのだ。それほどまでに東京というのは人口密度が高いために、単なる移動による自分のテリトリーの侵害が甚だしい。自分でも自覚をしていないながら、人は人のことを判断し避けたり、喋りかけたりする。苦痛で仕方ない。それ故に自分を保つために1人の時間が必ず必要なのだが、それと同時にどうでもいいことを喋る時間も同じように必要なのだ。しかしながら、人に誘われることで自分の時間が減るわけだから、自分が自分を保つための行動に、自分のテリトリーが侵害される瞬間が見受けられると、心底疲弊してしまう。困ったもので、毎日酒を飲み交わすひとを間近で見ていると、何故そこまでフィジカルに溢れてるんだ…と思う。そんな一年だった。

 

2.意識の変化について

 東京に住む前からわたしのことを認識している人間に久しぶりに会うと百発百中で「雰囲気が変わった」と言われる。なんだ、なんだそれ、化粧は変えてないし、洋服もまともに買い替えていないのに、なんでだ?と、たぶんそれは「意識の変化」で、過度に人が多いばかりに自分のテリトリーを侵害されないために防御ばかりして人のことを誘ったりしていない分、家にいたから、性格が完全に昔に戻っている。こんな自分が好きじゃないために、東京に遊びに行って知り合いを増やしていたのに、その知り合いに雰囲気が変わった(戻った)と気がつかれてしまうと、それはとうとう「じゃあなんで東京に住んだのか」と言うことになる。わからない、自由になるために東京に出てきたのに全く自由になれていない、その上、周りの人はバンバン結婚するし子供を産むし、なんなんだ、なんだこれは一体……自分を保つことで手一杯なのに、何故みんな副業とか人と恋愛とかできたりするんだ……まるで人のことを好きになる余裕もない…「他人と分かり合えない」からこそ生まれる文学の本を見て、その美学に気がつける余裕すらも残っていない自分が笑ける。恋愛って不思議だ、もうしたくない…

 

 

 

ララ〜🎶

 2026年

 

 1.生活について

 この町に引っ越してきて早いものであと少しで1年が経過する。はやいものだ。充実しているようで日々結構しっかり悔しくて、人は相変わらずないものねだりな生き物なのだなと思わされる。筋トレを頑張っているが、わたしにとっては、筋トレとはずれてぶれたものを戻すという行為に近く、今風の言葉で言うとマインドフルネスだ。現代人は日々情報に追われている。そのせいで、この街に住んで享受すべき何かさえも見失う日々だったので筋トレを始めるとかなり精神的に効果があった。筋トレというか、ヨガはすげー。

 

https://yoga-lava.com/yogafull/3104/

 

 感じなきゃいけない、頑張らなきゃいけない、少しでも取りこぼしてはならない、追わなきゃ、追いつかなきゃ、もっとすごくならなきゃ、みたいなものに平常心の時も切羽詰まっている。東京にいるということは一生こういうことの繰り返しなのだなと夏くらいまで本気で思って絶望していたが、マインドフルネスをはじめると体もやわらかくなるし、精神も柔らかくなった。嫌いだった渋谷も道玄坂をうねうねすると古くて優しいお店が結構あって、側転だけみて判断するのは良くないと学んだ。

 

 2.人について

 この1年、初めて会う人、初めて行く街に翻弄されていてどこに行っても結構気を使う。わたしはわたしだけど、相手はわたしのことは何も知らない。文脈も知られていない、好きな趣味の頭出しをしても、伝わりにくい。この感覚が連続で続いていて、自分をわかってもらうために言葉を使って説明して頑張る、みたいな状況がたくさん爆誕しているから、本当の自分が出しにくくなっていて、億劫になっている自分がきっと他人には映っているのだろうなと思う。けれど、こっちが多分本当に近くて、いままでは極めて稀に好きな人間と連続で出会えていたと言うことだと思う。大人になって「人見知り」って挨拶するのはナメてると思うが、そうさせない身の写し方をすると「自分じゃない自分」が出てきて、この苦しさが「大人」と言うことでもないかと思う。苦しい!苦しいが、「自分じゃない自分」を出してしまうのを繰り返すと自然と自分が出てくるような気もする。それほどまでに、会社でも家の周りでも、そうじゃないひとがいっぱいいる。初めて会う人ばっかりの中で、本当によくやっていると思う。その中でも、わたしのことをちゃんと憶えて話しかけてくれる人が最近少しだけ増えていて、面白い。許し、というか。

 

3.2026年について

 わたしは結構個人商店みたいなお店に行くのはすごく苦手で、入れるとしても本屋くらいだ。居酒屋も喫茶店も怖くなってしまう。けれど、この街はそういうのばっかりでいつのまにか自分の生活にここのお店の人、場所が自分の人生や根ざしていた、ということに憧れてしまうのでそういう機会を大事にしたい。命題

 

 仕事についてもきちんと考えたい。1年経って結構慣れた。夏くらいは本当にしんどくて泣いてたけど、いまとなれば甘っちょろい。けど、泣いたくらい真剣に向き合ったんだなと思う。成長したい!と思って転職してスキル面はほんの少し成長できた気がするが、振り返ってみれば本当に結構頑張ったと思う。本当に。今月から高層ビルでキラキラOLだし法令も変わるし、どうなることやら。あとやぱ、東京のひとってまじでめちゃくちゃ仕事してる。あんなにこやかなのに副業何個もしてる、なんかそういう「機会損失」にちゃんとしがみついていく、みたいな精神も今のうちに身につけて楽しく生きていきたいとも思う。

 

【指針】

 自分のことを置き去りにしない

 

 

 

おとのすべて

frue2025感想(抜粋)

 

書き尽くす労力はないが、frueでみた感動的にシーンを2個ここに書き記す。

  1. 君島大空(独奏)
  2. NAKIBEMBE EMBAIRE GROUP
君島大空について

FRUE2日目。朝イチのチョコパ(3人編成)の柔軟な音作りと、これを誰にも邪魔させないぞと言わんばかりのステージのセット。かと言ってもてはやすことを過剰に行わないfrueの乗客たちによって、最高の午前中を過ごしたあと、となりのDJステージへ移動し、原っぱ、晴れた空、DJを眺めつつ「あと30分後に君島さんがはじまるな、曲は聞いたことないが見てみるか」くらいの気持ちで原っぱの後にして移動。ステージ移動が完了すると、大きくて雄大なステージにギターを持った青年が1人で歌を歌っていた。そこまで客は増えていない。するすると前の方に行く。歌声とギターのカッティングが耳に入る。ああ、そっか、君島大空さんって1人でここにきたんだなと思った。FRUEの客になると、(FRUEにわざわざ客として行くような嗜好を持つ人間は)、君島大空さんのような、ある意味、FRUEから見ればメジャーな位置にいるようなアーティストを、このフェスに呼ばれた理由を理解しようと、見にきたのでは、見に行くのではないかと思う。

あんまり起きてない頭と目で、君島大空さんを失礼ながらも見定めるようにみる。曲名はいまだに覚えられないのだが、やたら「天使、天使」って言ってる曲があって、その曲を聴いていたら思わず涙が出ていた。びっくりした。

 

FRUEのステージは音の反響が非常に柔らかい。体育館のようなたてもので、後ろが吹き抜けになっており、音が困りやすく、緩やかに抜けて行く。その音響設備の中で、君島大空さんの技巧に長けたギターカッティング技術と、性別を意識させない歌声が、かなりがっつりハマっていたことに驚いた。

 

偏見について

ニコニコ動画がおよそ13年くらい前に大流行りした頃、毎日のようにボーカロイドと歌ってみたカルチャーにハマって盛り上がっていた層が、今この年齢になって独自の表現方法で音楽を発表し始めて、コロナ禍の1人で音楽を作る流行り、みたいなのも相まって、ボーカロイドPとバンドマンとの境目がかなり柔らかく、近くなったように思える。ニコニコ動画は流行っていたけど、一部のスクールカーストを意識する層から向けられる視線はかなり鋭利なもので、迂闊にニコニコ動画が好きだった、なんて口にすると、安易なインキャ認定をされるのが恐ろしくて、大人としての自我が芽生えてからは、なんとなくkpopが好きで〜なんて誤魔化していた。(kpopはだいすきなのですが)そんなこんなで、米津玄師が紅白に出演したり初音ミクの海外人気なども相まって、成長期にボーカロイドを聴いて育った層がわっって出てきた時は、そういう時代になったんだなと思った。(例えば、ジャケットを自分の創作活動の一環にしたり)

君島大空が遠視のコントラルトを発表したとき、わたしが持った君島大空の印象は「soundcloud宅録音源が跳ねた人」だった。コラージュのジャケットや、やけに甲高い歌声をも相まって、わたしはかなり勝手に彼のことを「ボーカロイド出の人だ」と思ってしまっていた。先に、彼が評価されてTiny Deskに出演した時も、黒いスーツに赤い口紅、高い位置で構えるギター、なんとなく、オタクそうだな・・・という印象は中々拭えず、勝手な偏見は長く続いた。

 

私が彼の演奏を見て、涙を流したのは、きっとFRUEに出るくらいなんだから、と言った、偏見を消え去る信頼を持っていたのが大きな要因と言える。もちろん、彼自身の魅力が大変素晴らしかった。厭世観や、性別を意識させない歌声、両親からの影響、西東京で生まれ育ったからこそ、ちょっと東に移ることで出会える音楽の人間、美学、音楽に向き合うスタンスさえも、インタビューを読み漁るとかなり共感ができる。わたしは、こう言った、たまたまの表現方法が音楽や小説で、それに私が触れ合った時、合致できる気持ちがあると。救われた気持ちになる。涙が出たのは、きっと、絶対、そういうことだろう。

🎶

(

 ここ最近は、口を開けば愚痴ばかりだと思う。この仕事まで任されるのはこの給与にしてはおかしい、この内容で引き継ぎされるのはおかしい、そもそも東京は人が多すぎておかしい、家の中が寒すぎてキツい、同居人が家の掃除をしない、毎日の自炊がしんどい、等々。あと、他責思考と、自責も止まらない。どうせ地味なやつだと思われてる、突っかかりにくいやつだと思われてる。明らかに自信がなくなってる

 

 かくして、このような生活を買ってでたのは紛れもなく己なのだから、起こりうる困難や苦悩、苦痛等々は想定内である。それでも、やはりなんやかんやで「苦しい」感情が一番に出てきてしまうのは、適合できてないからなのか?それとも、ずっと「緊張状態」に置かれてるからなのか。

 

 高円寺の有名な大将で、友達と22時近くから飲み始めた夏の終わり、やったら濃い酎ハイを飲みながら「とにかく仕事が辛い、1週間のうちずっと辛いのはやっぱりおかしい」と、言うと友人はあんまり口に出さなかったけどあの会社はあってないと、言わせたような台詞を返され、あー、やっぱり、と納得しつつ、そうだよね、せっかくこの街に住んでることだし、ソレっぽいこととかしたいし、すれば?と言う流れにもなった。「それっぽいこと」と、口に出してみたもののそれの実態はよくわからない。あまりにも、この街は情報が多すぎるゆえに俗っぽいところがある。

 

 東京っていうと朝ドラ、はばたけでは「東京はやり直せる街だ」と言っていた。うん、確かにそうで。わたしが口に出したそれっぽいこと、とはつまり、俗人的で、地方から上京してきたひとが荒波に揉まれながら、どんな価値観も許されるような場所で、自分らしさを時には見失いながら、成長も堕落も、怠惰も、勝利も同時に生まれる街、であるし、だと思う。

 東京から近しい場所で育ってきたわたしは、東京でコミュニティに属しながら、それっぽいことにはならなかった。どちらかというと、上記に挙げたような人間がそれぞれの場所で集まっていて、その様子を端から見に行ったり、ときには関わり合いながら、必ず帰る。自分の住む場所へ帰る安心を噛み締める、そんな空間をいちすみかとしながら。

 

 なので、わたしにとってこの町で「それっぽいこと」を成し遂げるには前提として条件が揃っておらず、それ故に、カッコ悪い言い方をすると、やる気が出ないのである。東京にきて、物理的な距離が近くなると俗人的なコミュニティが、離れてみてた時よりも一層生々しく感じ、それっぽいことを存分に謳歌してる人間をみると、なんともいえぬ気持ち悪さを感じてしまうのである。まあ、なんとかっこわるいこと、前提、わたしはいま愚痴が止まらないのである。ただ、これは本当にマジで斜に構えているだけです。あーかっこわるい、まず、人1人とちゃんと関わりたい。

 

 先日異性と2人でご飯を食べていて、結婚のはなしになり、お互いの共通の知り合いの話になった時に、わたしが、あの2人は簡単に結婚しない、女側が名字を手放す選択肢を取るまでに時間を要する、と意見したら、おれは苗字になんの執着もないから、自分の弟が結婚したら、俺自身は婿に入っても良い。と言っており、この発言すらもずっとモヤモヤしている。いいな、手放すとか手放さないとか選択肢があって、悩んだこともなくてって思ってしまった。自分自身、夫婦別姓とか名字が変わることって単純に手続きが面倒だから嫌なだけで、こだわりは全くないのだが、やっぱりモヤついてるのは女性側、みたいなスタンスを取られるだけで腹立ってしまうもんだ。はあ、カリカリ、いやなアラサー。

 

 さいきんはキュンキュンしたいなー、恋とかしたいなー、みたいな気持ちも湧かず、この企画面白そうだなーと思っても体が動かず、友達と会ってても、内心話が入ってこないし、口角も上がらない。困った困った。実は音楽を聴くこともそんなに身が入ってない。会社行き、帰ってきて、ショート動画見て、惰性で化粧をして、浅い眠りをして、体操をして、また会社に行く。落ちていく落ちていく、幸いなことに、不幸せなことはないから、幸せは感じている。作ったご飯が美味しくできたとか、ビールが美味いとか。

 

 先日、アルコアンドピース平子さんが出ていた番組で市川刺身が「高円寺住んでる人って、高円寺すきすぎじゃないですか?」と言って、人笑いしていて、わたしも確かにそうだなとは思ったのだけど、ずっとここにいることは想像できにくいし、やっぱり住み続ける人は内部に入り込めるひとで、やる気がなくかっこ悪いわたしは、そんな内部に入り込める勇気も体力も気力も残っておらず、やっぱり離れて暮らしていた時と一緒で、そばで近くてみている、人にしか慣れない。今はこれが楽だけど、勿体無いような気もする。けど、なんかみんなこんなような気もする。人生って。どう?

 

 

 阿波踊りが開催されているこの街で、日中8時間草刈りを続けている男性がいた。機械を使わず、手作業で草を借り続けている。区の業者の一個だろうか、はたまた性格の悪いわたしには「この仕事しか出来ないのだろうか」、最近見ることが多くなった障がい者雇用の一種だろうか、という目線を向ける。物理的にも立って歩いているわたしの方が視界が上だから、膝をついて猛暑の中、8時間草刈りを続ける男性のその姿を「見下げて」、勝手にこの男性の人生の一部を勝手に想像して憂いてしまった。阿波踊りが終わるころ、道沿いの雑草は綺麗になっていた。なぜ、1人で草刈りをしていたんだろう、なぜ、機械を使わないのだろう。

 

 AM8:30、渋谷駅を出ると大きな広告が目に入る。ウーバーイーツ、アイドル、デカデカと掲げられるメッセージ、2週に一回、広告が変わる。このデカい広告は広告代理店のコピーライターが何時間もMTGを重ねて生み出した誰かの仕事である。心底うるさいなと思うけれど、安易に馬鹿にはできない。足早に広告の壁を通り過ぎて、一心不乱に歩く。道沿いの草刈りをしている男性を立ち止まり、見つめて、まちを憂いている余裕はここにはない。最近身につけた、死んだ顔で人の波を横断すると勝手に人がどいていく、というライフハックを用いて会社へと向かう。今日も外国人観光客の持つキャリーバッグに道を塞がれる。マリオカートに乗った安易な観光客が道路を塞ぐ。退職を促す広告を載せたトラックが前を通り過ぎたと思えば、転職を促す広告を載せたトラックも目の前を通り過ぎる。これが、循環なのだろうか。わたしたち人間は、変化を元にだれかの資本を生み出すようになったのはいつからだろうか。出社してパソコンを開いて、先輩のスケジュールを見て、空いている時間に勝手にMTGを抑えてDMを送る。「業務のことで相談があり、時間を抑えました」、勝手に人の時間をボタンひとつで抑える。エレベーターの広告には「商談はAIに任せる」。Xを開くと、「昔はもっと仕事をサボれた、今は隙間時間に互いに人の時間を抑える」、新聞記事には996時間で働く中国の今を伝える記事が掲載されている。無心で読む。

 

 三連休、目を覚まして「GOAT meets」を読む。人のことを勝手に憂いて、寂しくなっているような感受性を持つわたしのような気持ちについてを、韓国人の作家が作品を生み出すプロセス、のように書いてあった。お昼、時間になって、化粧をして、中目黒へ向かう。有名な編集者の写真の個展を見にいくためだ。個展会場に入ると、どうやら雑誌関係者の人間が複数おり、久しぶりにカルチャーの匂いを感じる。その類の話しか出来ない人が集まる空間にいると、逆に感覚も鈍くなりそうだな、とまた性格の悪いことを思う。目黒川を眺める。いちばん好きなバンドのライブに行く、好きになったころよりも良い変化をし続ける演奏に心底胸を打たれ、しばらく歩いて帰ることにした。至る所に、提灯がぶら下がっており、嬉しくなる。

 

 正直、ここ最近は感受性が死んでいた。人はこうしていとも簡単に今まで好きだったものを手放せるのだなと思った。気がついたらやることがなくて、喫煙を始めた。ぶら下がっている提灯を見て、嬉しくなったり、音楽を聴いて嬉しかったり、そういう気持ちの変化が戻ってきたことに嬉しくて、1人で酒を飲んだ。そのきっかけが、やっぱりTAMTAMだったことが嬉しかった。引くほど落ち込み、笑えなくなっていた時、ライブを見に行って社会活動が再開したことを思い出す。あの時と見てる景色が随分変わった。そんなことを懐かしく思いながらそのバンドのライブを見る。この音楽を知った、教えてくれたときのことを思い出す。

 

 「信じる」とはなんだろうか。誰しもが、いとも簡単に人のことを信じるようになり、人の循環でお金を稼ぐ人がいる。そんな不安定なものを信じて、いつかなくなる気持ちを信じて、苦しくないのだろうか。今まで、人のことを過信しがちだったわたしはあるとき尊敬の目を向けられることがあった。苦しかった。人のことを勝手に神様みたいに扱うなと思ったからだ。人のことをお金を払って会いに行くだけで、誰かの「神様」になり、お守りになる。むず痒い。朝井リョウの新作を早く読みたい。よくわからない、今回はここまで

 

 

 

 

 

電線

備忘録

book:goat meets

podcast:人間生活

music:Andy Shauf

 

日記

 

 暦通りに休む。

 例年通り、荒川で花火をする、花火なんて結局のところ、どこでもできるなと思いつつ、でっけえ声が出せるのが毎年嬉しい。来年以降も続けて行きたいなと思うし、自分は勇気を出して仲間に入れてもらえてすごく幸運な人間だなと思う。

 

 

 雨上がりに無計画に家から出て、行ったことのない道沿いに歩くと地元の周りに似ていた。パッとしない商店街、パッとしない改札の入り口。歩き疲れたので、バスに乗って阿佐ヶ谷に戻って、七夕祭りを見た。スマホを持たずにひたすら歩いて、夜は雨の音を聞いて寝た。また、近所にあるコミュニティスペースへは行けなかった。

 

 家の中を掃除して、家を出る。駒場東大前で降りて東大キャンパスへ。まさか自分の人生の中でここにくる機会が訪れるとは。都内の真ん中で緑の中を歩いて、うまい棒をもらって食べる。podcastの収録をしたんだけど、途中意見の食い違いが発生して、ずっと平行線の話し合いをしていたところ、途中「お前の意見、絶対に間違ってるぞ」と言い合わない関係性に感動してしまった。散々頭を使って話した後、蝉の声が聞こえる教室でしばし談話を。これすごくいい時間だねって言い合って解散した。そのまま、実家に帰って缶ビールを飲みながら人のいない道を歩いた。飛行機が相変わらず行き交っており、安心する。

 

 じいちゃんの墓参りへ行く。少し涼しくて、周りはたんぼで、綺麗な緑色だった。新米楽しみだねって言い合ってさるすべりの花を。元気かなー

 

 地元の街を自転車で回遊。埋立地だから、歴史もクソもないんだけど、平成の匂いをいまだに感じることができる自分の街が愛おしくてたまらなくなった。開発中の土地にできる、マクドナルド、スタバ、イオン、JINSダイソー、大きな公園、開けた空、すぐそばに海がある。公園で遊ぶ人たちを見て自転車を漕いだ。気持ちよかった。

 

 朝、自分の住んでいる東京へ戻ると、お盆期間中だからか全体的に街の流れがゆっくりに感じられる。人も少なくて、ガチガチに固めた心がほぐされる。その日の夜は、初めてHoipoiに潜入した。築53年くらいの木造一軒家を、イベントスペースに改造して「コンビニ」として営業している場所だ。営業期間が期間限定なこともあり、毎日のように著名人がここで演奏したり、遊んだりしている。中では美味しいご飯を食べることもできるし、二階で寝ることもできるらしい。Thom Gillの演奏を堪能した後、ロータリーで酒を飲んで解散した。

 

 休みの日、また無計画で外に出て歩く。悩みは全て散歩が解決する。スマホを置いて、家を出よう。無計画で歩いていたら、「荻外荘」にたどり着く。政治家の近衛文麿が住んでいたお家を見学。解説してくださった綺麗なお婆さんの話を聞いていると、持論を持ったお爺さんが話しかけてきて、お婆さんとお爺さんの意見の交換会が目の前で始まる。近衛文麿はこの家で自決、したということだけど、それがGHQに殺された(真相は不明だが)、なんかそういうことを話し合っていた。決して喧嘩、ではなく、対話をしていて、凄いなと思った。

 

 この街は、歴史があるからこそごちゃごちゃしていていろんな人が住み着く。空も高くないし、高級住宅街は閉鎖的だ。いよいよ、阿波踊りを体感することになるけど、どんな気持ちになるだろう?地元が恋しくて堪らない。

 

 

 

 

 

平然と

 退勤後に目黒に移動して、はじめて目黒シネマに来訪。たかくそびえるビル群を歩くとすぐ現れる映画館にホッとする。目黒区は住民税が高いらしい。

 エドワード・ヤンの「エドワード・ヤンの恋愛時代」をみる。隣に座っていた男性の体臭が気になる、すごく爪が伸びきっていて鼻にくるような匂い。やっぱりこんな古い映画をわざわざ観にくるような人は、、みたいなドス黒い気持ちが渦巻く。暗い人、明るい人、明るい人は頑張ってる人、みたいなレッテルが頭に思い浮かぶ。受付のNikoんのボーカルに似た男性は目が透き通っていた。開演の時間まで、弊社の社長について調べる。ほー、へー、ほー。仕事について、ぐるぐるぐるぐる考える。資本、お金、日本経済、生活、暮らし、ここは目黒、住民税が高い。らしい

 

 エドワード・ヤンを知ったのはBunkamura映画館で上映されてた「ヤンヤン夏の思い出」のポスターを散歩中に発見してから知った。たしか、高校生のときか?その発見から5年後くらい、図書館でDVDを借りて見た。台湾のカラッとした気候とか、カメラ回しとか、画角とか、いやらしくない程度にうつろう、今は通ずる芯を買ったメッセージ性が、現代社会でよくある「刺激」に乗せられてこないから、この映画監督は好きだ。

 

 (感想)1990年代、急成長の遂げた台湾の社会の様子も、今の情報に追われ続ける日本の都会人も、悩みは通ずる。エドワードヤンの恋愛時代で印象に残ったシーンは、高いビルの会議室で女社長とその部下が会話するシーンだ。台詞上で、「情」を切り売りするのも資本主義を生き抜くコツだと説いていた。途中途中にパンっと挟まれるメッセージがあり、それがだらだらと続く会話劇で良い刺激になる。台湾の言葉、特に女同士の言い合いとかが、ワーワー耳に入ってくるときは、はあー、うるせーて思う時もあるけど、エドワードヤンのカメラの使い方のおかげでそれも乗り越えられる。台湾の俳優は本当にかっこいい。夜のシーンがすごく良かった、顔の表情はあんまり確認できないのに、すごく良かった。結局最後はみんな仕事やめてた、上映が終わって外に出ると、まだビル群だった、はやく自分の住むところに帰りたいと思った、仕事と街のことをずっと考えている、今このタイミングでみれて良かったのかもしれない。

 

 そういえば、最近はフランス語を浴びたくなって、『オルエットの方に』っていう、南仏に女3人でバカンスに出かけて、わーわーやる映画も見た。これもだいぶ古いやつ。ギヨームブラックが尊敬している監督らしい、たぶんわたしはゴダールとかかなり好きだと思うけど、まだ見れてない。

 

 この2本の映画も「充実した時間」だったか?と言われると別にそうでもないが、別にそうでもない映画がリマスターされて上映され、まあまあな来客数を獲得していると思うと、やはり別にそうでもない時間こそがわたしたちには一番必要であるし、こういう瞬間を表現するのって難しいだろうなとつくづく思う。さらには、こうやって、他者の世界を覗き見ることができるのが映画の醍醐味だと思う。

 

 最近、友達と鬼滅の刃とか呪術廻戦、チェンソーマンとかの話になって、今の少年ジャンプ漫画は殺される場面が多い、昔はこんなだったけ?と話したら、ミステリー小説が流行っているのとおんなじで、現代人は刺激を求めている、とアンサーをもらった。なんだか悲しくなった、別に何も起きなくてイイのに

 

 何を大事にしていきていこう。絶対にお金、お金なんだけど、『生きてりゃそれでいい』ってエドワードヤンは言うけど。

 

 七夕祭りに遊びに行った。商店街の頭上に、ひらひらしたやつがたくさんぶら下がってて綺麗だった。人が多くて早々に離脱したんだけど、途中、普通に道を歩いているだけで、いっぱいピラティス教室があって、わたしたちはこんな人混みで人なのか何かわからない大きなビル群の下で『自分とは何か』を探りながら生きていて、消費して、金を稼いで、体を鍛えて、懸命にコミュニティを見つけて、自分を根ざす何かを公表して、で、結局、疲労した脳には筋トレが効くよ!とか言って、体を疲れさせて。

 

 本当ウチら、何やってんだろうね。映画内で芸術家が言葉巧みに女優と関係を持とうとしてるのも、すごく滑稽だった。けど、人間味があってよかった、芸術家のセリフもすごく良かったなー『すぐ崇拝される』

 

 次の次の日、家に帰って、長崎の被爆者の証言を夜中3時まで読んだ。その次の日は大学に行ってpodcast収録。「これから成長はなく、還元していく時間になる」みたいな会話をした。

 

 ばあちゃん家いって、お墓参り、地元をチャリではしる。田んぼにお米がたくさんなってた。会社のことを思い出す。同僚が『千葉の支社に行ったけど、みんな千葉って感じの服装してた』とか、すぐ人のことレッテル貼るのとかすごく嫌だ、あー。東京で暮らすようになって、半年くらいが経とうとしてるけど、常に脳のキャパシティが満杯で今まで好きだったコンテンツが脳に入ってきてもこれが自分を救う一手だったり、安らぐ瞬間だったり、ケアする瞬間に全くならない。けど、地元に帰った瞬間にそれがなくなる。街の情報の多さ、だろうか。高校2年生ぶりくらいに、暦の通りに生きてるけど、生きにくい。歳をとったから、落ち着いた?んだろうか。やばい、うるさい、よくわかんない、がずっと身に纏っている。走ろうかな