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AIUEO

 

 

仕事終わり、適当にイオン散歩して帰宅したら親の携帯に突然着信

 

今92歳の爺ちゃんは本当に大きな病気がない

歳故の高血圧だったりはあるけど、転んでも骨は折れないし体がめちゃくちゃ丈夫、まだまだ生きる

しかしながら、歳ゆえの軽度な認知症と、排泄がうまくできない等があり、家での介護も限界が見えてきているので一旦入院という形で面倒をみてもらっている

 

爺ちゃんは2年くらい前からめちゃくちゃ痩せて、認知症ではあるけど全然会話できるレベル

ただ前より明朗じゃないから自分のことだけで必死

実際に一緒にいる時に、自分のことだけ考えている爺ちゃん という場面が増えてきて、当然のように愛される孫という立ち位置が、安易に崩れていくショックがかなり大きかった。当たり前のように受けてきた愛が、当たり前じゃないことを知った。

今まで幼少期から触れ合ってきた優しくて大らかな爺ちゃんとはこの時にさよならしてしまったんだなと思った。

 

病院からきた着信と母親が会話しているのが聞こえてきて、長電話だったから、もしかしたらと思い耳をすませていた 話終わった母親に様子を聞くと

発熱が1週間続いていて、意識もあるし歩くけど、もしかしたらヤバいかもしんないということだった 延命治療はしない予定である

 

もうかなり老いが進んでいるから、死というものがかなり目の前に迫ってきていても、それなりにみんな準備ができていて、というかこの準備が大変すぎて、やっとか、そろそろか、という構えのおかげで人が死ぬという行為がかなり事務的に進んでおり、わたしもわたしで、喪服がないから買った方がいいのかなあと思うし、もし葬式ってなったら法事で休むんだあとか同僚どんな反応するのかなとか、ただやんわり気持ちの準備が進んでいる。

父方の祖父がしんだときはわたしが小学生の時で、あの人はアル中糖尿病といった、かなり人から死を望まれていた人だったから(こんな言い方は良くないか)葬式も全く悲しい様子もなく、ただあの日のことはよく覚えている、程度である。

わたしは泣くこともせず、ジッとしていることに必死だった 爺ちゃんは冷たくなってて、焼かれて骨になって、骨を箸で持ったら意外と重くて驚いた

 

 

いざその時が来た時に、悲しむ様子を演出した方がいいのかなとか、私の感情についてどう表現すべきが親切かとか、第三者から見た自分の感情をやり方を今わたしは想像していて、残酷だと思う。泣かないと思う。それが残酷だと思う。

 

感情に身を任せることができない。平然と装ってしまうし感情をあまり表に出したことがないし、かなり俯瞰的に自分を見つめるせいで自分の感情がよくわからない

わたしの異常なところで悲しくなる。爺ちゃんに申し訳ない。

死というものは悲しいし、一生会えなくなるのも勿論悲しい、もっと話したかったけど、まだ生きてるけど前みたいに話せない。あの時の爺ちゃんは一旦いなくなってる。

 

昔の人は認知症などで人が変わる前に寿命を迎えてだんだろうなと思う