1.ひと(他人)との関わり合いについて
ここ最近は見えない何かに縛り付けられている感覚だ。それは何か。紛れもなくひと(他人)との関わり合いについてである。先日、本屋に行くと「他人は分かり合えない」というテーマを扱った本が置いてあり、如実、他人とは分かり合えないのであって、それ故に分かり合えないからこそどう言葉や感情を操るか、という、いわば人との関わり合いこそに美しさを覚えるという表現で文を締める本が並んでいた。対して、わたしの住む街では毎日のように誰かしらが酒を飲み交わしていて、毎日歩いていると、どうしてそんなに人と会う予定があるんだ?と不思議になる。(ひとりで入りやすいお店に入ると、周りを見渡す限り男性しかいないし、女っていつどこで飯を食っているんだ?)
ここ最近、自分から人を誘うことが滅法減ってしまった、人と会う予定に縛られるのが心底苦痛なのだ。それほどまでに東京というのは人口密度が高いために、単なる移動による自分のテリトリーの侵害が甚だしい。自分でも自覚をしていないながら、人は人のことを判断し避けたり、喋りかけたりする。苦痛で仕方ない。それ故に自分を保つために1人の時間が必ず必要なのだが、それと同時にどうでもいいことを喋る時間も同じように必要なのだ。しかしながら、人に誘われることで自分の時間が減るわけだから、自分が自分を保つための行動に、自分のテリトリーが侵害される瞬間が見受けられると、心底疲弊してしまう。困ったもので、毎日酒を飲み交わすひとを間近で見ていると、何故そこまでフィジカルに溢れてるんだ…と思う。そんな一年だった。
2.意識の変化について
東京に住む前からわたしのことを認識している人間に久しぶりに会うと百発百中で「雰囲気が変わった」と言われる。なんだ、なんだそれ、化粧は変えてないし、洋服もまともに買い替えていないのに、なんでだ?と、たぶんそれは「意識の変化」で、過度に人が多いばかりに自分のテリトリーを侵害されないために防御ばかりして人のことを誘ったりしていない分、家にいたから、性格が完全に昔に戻っている。こんな自分が好きじゃないために、東京に遊びに行って知り合いを増やしていたのに、その知り合いに雰囲気が変わった(戻った)と気がつかれてしまうと、それはとうとう「じゃあなんで東京に住んだのか」と言うことになる。わからない、自由になるために東京に出てきたのに全く自由になれていない、その上、周りの人はバンバン結婚するし子供を産むし、なんなんだ、なんだこれは一体……自分を保つことで手一杯なのに、何故みんな副業とか人と恋愛とかできたりするんだ……まるで人のことを好きになる余裕もない…「他人と分かり合えない」からこそ生まれる文学の本を見て、その美学に気がつける余裕すらも残っていない自分が笑ける。恋愛って不思議だ、もうしたくない…






